鏡裕之 『成年コミックの評価について』

●出版 鏡裕之
●定価 100万ドル(税別)
●乳シズム ★★★★★
●推奨ランク ABC
●フェチ嗜好 乳揉み・乳吸い・パイズリ・乳首責め
 

 
EXPLANATION

非実在宰相念論〜オタクと資本主義〜 本サイトでは、フェチ嗜好」「乳シズム」「推奨ランクの3つの視点から成年コミックを評価しています。

●フェチ嗜好
 具体的にどんな巨乳プレイが盛り込まれているかということ。
 乳揉み・乳吸い・乳首責め(乳首いじり)・パイズリの他に、乳押しつけや乳揺れ、オッパイのフォルムへのこだわりもあります。
 一番左端が、最も表現されている箇所が多い巨乳フェチの嗜好です。右の方に行くにつれて、少なくなります。まったくない嗜好は、記されません。

●巨乳ヒロイン率(乳シズム)
 作中における、巨乳ヒロインの比率
 全ヒロインが巨乳で、なおかつ乳房に対してこだわりをもって描いている場合は、五つ星になります。
 普通乳や貧乳が混じっている場合や、貧乳女性のセックスが描かれている場合、その分、星は割り引かれてしまいます。

●巨乳フェチ度(推奨ランク)
 「オッパイ星人に対する」推薦の度合いのこと。具体的には「巨乳プレイの充実度」を意味します。
 巨乳プレイとは、巨乳フェチの性的プレイ、すなわち、「乳揉み・乳吸い・乳首責め・パイズリ・乳揺れ・乳押しつけ」のことです。

両乳揉み・乳吸い・乳首責め・パイズリなどの巨乳フェチプレイが、前戯においては連続2カット以上、挿入中においては1カット以上、
 乳揺れや乳押しつけの場合は、前戯/挿入に関係なく1カット以上描かれていた場合に、1回とカウントする


 という基準で回数をカウント、どれくらい盛り込まれているかを見てランクを決めています。
 だいたいの目安は、「乳揉み+乳吸い+乳首責め+パイズリ」が、

 合計30以上……Sランク(オッパイ星人なら集めておきたい巨乳フェチの傑作)
 合計20以上……Aランク(オッパイ星人が安心して購入できる)
 合計10以上……Bランク(オッパイ好きなら満足できるが、オッパイ星人は物足りない)
 合計10未満……Cランク(オッパイ目的の購入には向かない)

 となっています。
 オッパイ好きというのは、「挿入>=巨乳フェチプレイ」と考える人、オッパイ星人とは「挿入<巨乳フェチプレイ」と考える人のことです。
 コンビニ誌連載作品の場合は、メディアの性質によりページ数が制限されてしまうため、

乳揉み・乳吸い・乳首責め・パイズリ・乳揺れ・乳押しつけなどの巨乳フェチプレイや乳揺れが、前戯においても挿入中においても1カット以上描かれていた場合に、1回とカウントする

 という基準で判定して、少し甘めに採点するようにしています。

 この基準で下されるランクは、「オッパイ星人にとってその成年コミックが使えるかどうか」という、あくまでもオッパイ星人限定の評価です。
 作品全体の評価ではありません。オッパイ星人的にはCランクであっても、エロさでいえばSランクということがあります。

●印象論の危うさ
 批評の世界では、印象論というのがあります。読んだ印象で判断するというものです。
 非常に古臭い古典的な理論で、批評の世界では100年以上前に廃棄されています。
 印象論は、非常にあやふやです。
 印象論ではあまり巨乳フェチに思えなかったものが、実際にカウントしてみたら凄い巨乳フェチだったということがあります。
 どんなに巨乳フェチプレイが盛り込まれていても、自分好みのシーンや自分好みの絵柄ではなかった場合、カウントされないというのが印象論の世界です。
 ネットにあるエロマンガレビューサイトは、ほぼ100%印象論です。その評価は、単一では不確かであり、評価には大きな揺らぎがあります。
 それでも、印象論のレビューには有用性があります。それを通して読者の感じ方を知ることができます。
 また集団的にレビュー群を集めると、ひとつのマーケットが見えてくるという有益性があります。
 何よりも、コメントされるのはうれしいことなので、作り手にとってはありがたいものです。消費者も、参考資料として眺められます。
 しかし、プロ作家がプロ作家の名前でレビューを行う場合、ぼくは、印象論ではだめだと思っています。
 そこにはある程度の客観性なり、ある程度の妥当性が必要だろうと考えています。

●批評というものについて
 現在の哲学思想では、完全な客観性は存在しないことになっています。あるのは、「ある程度の客観性」です。
 「ある程度の客観性」を有するレビューが、批評と言われるものです。
 そして成年コミックには、総合的な意味での批評が存在しません。つまり、成年コミックに対する「ある程度客観的な評価」は存在しないということです。
 たとえば、「巨乳フェチとしてはAランクだけど、背徳感の物足りない作品」の評価は? 「巨乳フェチはBランクだけど、背徳感がよく表現されている作品」の客観的評価は?
 エロさを軸に見ればいい、と人は言うかもしれません。
 エロさとは、ペニス挿入を中心に成立するものです。しかし、巨乳フェチでは、ペニス挿入は決して中心ではありません。むしろ、乳揉みや乳吸い、パイズリといった巨乳フェチプレイの方が中心に位置します。
 エロさは、客観的な指標にはならないのです。
 成年コミック以外のフィクションの場合、「面白さ」という指標によってある程度の客観的評価を行うことができますが、成年コミックでは、エロさや面白さといったもので客観的評価を行うことができないのです。
 成年コミックで唯一可能なのは、ある1つのフェティシズムの視線の下に、ある程度の客観性を伴った評価を下すことでしょう。
 全体的な評価や、作品全体に対する客観的な評価は無理ですが、非常に個別的なレベルにおいては、ある程度の客観性には近づけるのではないかと思っています。
 充分かどうかはわかりませんが、印象論よりは客観性は保てているかもしれないという思いと、個人的なかっこつけから、本サイトは批評と銘打っています。
 それでもエロマンガをたった1つの性的嗜好から判断するのは、暴力性が伴います。
 決してオッパイ星人向けに描かれたわけではない作品を俎上に載せるのは、ある意味、作家にとっては暴力です。
 ぼく自身も、以前、スカトロ嗜好の人から自分の巨乳フェチ作品をプレイされて厳しく断罪されたことがあるので、その暴力性はわかります。
 その暴力性は仕方のない暴力性で、積極的に批判するべきものではありませんが、それでもCランクをつける時、作家に対して申し訳なくなります。
 けれども、カバーに魅力的な巨乳が描かれている限り、オッパイ星人は「これ、巨乳フェチ作品かな?」と期待して手に取ってしまいます。そして、違った時に落胆する。
 そういう不幸な出会いを避けるために、失礼と知りながら、敢えてランクをつけているのです。

 



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