2012年3月発売。
にしまきとおる氏15冊目の単行本。
まず一般論を。
母子相姦ものとは、実母を犯したい欲望を擬似的に実現してくれるものではない。「最初に母を犯したいという欲望があって、それを代償的に叶えてくれるもの」として、母子相姦ものがあるのではない。もしそうだとするなら、母子相姦ものはもっとマイナーなジャンルになっていただろう。
母子相姦ものとは、母性への耽溺である。
いつでも母性豊かに愛情を注いで、母性豊かに性欲も受け止めてくれる。それが、母子相姦もので言う「母」である。母とは具体的な人物ではなく、抽象的性質、すなわち母性なのだ。そこに「禁止とその侵犯」というエロティシズムの構造を重ね合わせたのが、母子相姦ものだ。禁じられた母とのセックスという側面にばかり気を取られてしまうけれども、実は性的欲求を母性的に優しく受け止めてほしいという願望の具現化なのである。
だからこそ、母子相姦ものである母は、必ずしも実母である必要性がない。義母でも充分なのは、そういう理由である。仮に母子相姦もので描かれている母を、優しい女教師に変換すれば、母子相姦ものの本質はさらによく把握できるようになるだろう。優しい女教師に甘えたいという欲望と、優しいママに甘えたいという欲望は、ほぼ同じものである。ただ関係性が違っているだけだ。より母性の方向へ深化したのが、母子相姦ものなのだ。
本書は母子相姦ものだが、禁止の侵犯としての側面を描いたものではなく、「いつでも母性豊かに愛情を注いで、母性豊かに性欲も受け止めてくれる」女性とのセックスを描いた傑作である。
『Scarlet Desire』では母は実母として設定されていたが、本書では義母として設定されている。『Scarlet Desire』では、「いかに母に欲情し、母とセックスするように至ったか」という心理的プロセスに力点が置かれていたが、本書では、いつでも母性豊かに愛情を注いで、母性豊かに性欲も受け止めてくれる女性に対して「いかに性欲をぶつけ、気持ちよく射精しまくるか」に力点が置かれている。『Scarlet
Desire』のパラレルワールドとして位置づけたことにより、純粋に欲望を、射精的歓喜と巨乳フェチ的悦楽を、描くことに成功しているのである。爆乳の優しい女性に甘えたい、欲望のままにオッパイを揉み、しゃぶりたい、パイズリで射精したい、思い切り膣内で射精したいという欲望を、本書は一冊まるごと費やして叶えてくれる傑作なのだ。
巨乳フェチ的にも、本書は傑作である。
「乳揉み・乳吸い・乳首責め・パイズリなどの巨乳フェチプレイが、前戯においては連続2カット以上、挿入中においては1カット以上描かれていた場合に、1回とカウントする」という基準で見た場合、
乳吸い13(挿入中7)・乳揉み13(挿入中6)・パイズリ10・乳首責め6(挿入中3)・乳洗い1。合計、41。
乳吸いと乳揉み、そしてパイズリが突出しているが、乳首責めも充実している。合計30以上がSランクの基準だが、40オーバーは滅多に見られるものではない。本作の41を上回るのは、瓦屋A太氏『禁則嗜好』の合計52カットしかない。そしてその数字は、そのまま巨乳フェチプレイの充実ぶりに反映されている。
たとえば乳吸いでは、19カット連続の乳吸い、9カット連続の乳吸い、7カットの連続の乳吸いが用意されているのだ。
パイズリにしても、順番にカット数を並べると、6、5、10、6、5、5、10、5、8、6。平均して6カット1頁分が費やされているのだ。巨乳フェチプレイのために費やされたカットは、実に180近くに達する。
これだけ巨乳フェチプレイを描きながら、クンニなどの前戯やフェラチオや挿入など、他のプレイもしっかり描いているのだから驚きだ。ピストン運動にいたっては、1冊で合計189カット。巨乳フェチプレイと同程度、大量に挿入に対してカットが費やされているのだ。これを傑作と言わなければ、評者の資格がない。
ご本人にあとでお聞きしたら、ご自分でもノッて描かれたとのこと。凄く楽しかったとおっしゃっていた。著者が楽しんで書いたものは、読者も楽しめるものである。母子相姦ものなんて……と思わずに、是非手に取っていただきたい。間違いなく、そこにはSランクの至高の世界があるのだから。
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