琴義弓介 『組曲蜜乳2』

●出版 コアマガジン
●定価 1000円(税別)
●乳シズム ★★★
●推奨ランク SA
●フェチ嗜好 乳描写・アナル・乳首いじり・搾乳・乳吸い
 

 
REVIEW

組曲蜜乳2 20010年3月発売。
 琴義弓介氏、脱皮となる記念碑的作品。
 「乳揉み・乳吸い・乳首責め・パイズリなどの巨乳フェチプレイが、前戯においては連続2カット以上、挿入中においては1カット以上描かれていた場合に、1回とカウントする」という基準から見ると、全10編中、乳揉み1、乳吸い2、乳首責め7、搾乳3、パイズリ1。決して巨乳フェチオンリーの作品でもなく、オッパイ星人オンリーの作品でもない。『組曲蜜乳2』は、むしろ巨乳フェチの衣装をまとった陵辱劇である。
  本作は、巨乳フェチでありながら男性優位の権力関係が折り込まれている。つまり、搾乳とアナルが組み合わされている。
  アナルというのは、男性優位を誇示する性的嗜好だ。それを使うということは、男権優位が示されているということ、つまり男女の権力関係が折り込まれているということだ。アナルを犯すことは、陵辱の基本である。陵辱とは、男性の方が優位であると宣言することに他ならない。
  しかし、巨乳フェチには、一般的に男性優位の権力関係は組み込まれていない。むしろ、それを廃して女性を女神崇拝するところから、巨乳フェチは始まっている。
  巨乳フェチとアナルが組み合わされた本作は、陵辱的には間違いなく力作だ。加虐を極める二人のヒロインへの陵辱。その中心に位置する、搾乳とアナル責め。「エロとは挿入のことなり、巨乳フェチは前戯にすぎぬ」という一般的なエロマンガファン、すなわち、第一に「エロ」を求める人たちにとっては、紛れもなく秀逸な作品だ。この作品で、琴義弓介氏は、陵辱の書き手として優秀なことを証明してみせた。と同時に、氏はオッパイ星人ではなく、乳表現にこだわるオッパイ好き(注1)であること、そして氏のリビドーの根源が陵辱にあることもまた、示してみせた。かの名作『触乳』でもその片鱗は表れていたが、彼のリビドー的根源は、陵辱にある。琴義弓介氏にとって搾乳とは、母乳という母性の宝を得ることではなく、女を雌牛という獣に堕とすことだ。そして、「女性という聖なる存在を獣に堕とす」という構図は、まさに陵辱の基本構図である。彼の場合、搾乳とは巨乳フェチプレイではなく、女を獣に堕とすためのプレイ、獣であることを女に実感させるためのプレイなのだ。だからこそ、牧場でヒロインは搾乳されるのである。彼は今後、乳表現のすばらしい陵辱エロマンガ家として歩んでいくのかもしれない。
 一般の読者には、本作は非常に高い評価を受け、同時に高いセールスも得るだろう。ただ、生粋のオッパイ星人にとってはどうか。丁寧に描き込まれた乳臭薫る濃密な乳表現は、表現上での最高点に到達している。映像的には、確かな乳への欲望を感じることができる。映像から感じられる乳への情熱は、間違いなく五つ星である。ひとつひとつの乳責めのシーンも濃密でフェティシズムが高い。特に娘の乳首をひたすらほじくりながら犯すシーンは、高い巨乳フェチと実用性を実現している。しかし、搾乳シーンの半分は、手によるものではなく、搾乳器などの機械によるもの。娘の乳首をほじくる前戯でも、ほじくっているのは張り型である。生粋のオッパイ星人は、あまり道具で乳房を責めることを好まないものだ。しかも、乳責めのシーンをすぎると、アナル責めを中心にした陵辱に移ってしまう。オッパイ星人が最も見たくない陵辱シーンに……。本作は、生粋のオッパイ星人にとっては、決して後味のよい作品ではない。巨乳への情熱は五つ星だが、巨乳プレイの充実度はBランク。オッパイ星人に対して手放しでは薦められない。陵辱ものが好きな人や不幸なエンディングに耐性のある人向きの一冊である。

※注1 オッパイ星人とオッパイ好きの違いはこうである。オッパイ星人は、挿入プレイよりも巨乳フェチプレイの方を多く描くように望む。極端な言い方をすれば、挿入がなくても巨乳プレイがあれば事足れりとする人たちである。不等式を使うと、乳>膣である。 対してオッパイ好きは、挿入行為が、最低でも巨乳プレイと同じくらいあることを望む。不等式を使うと、乳≦膣である。

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